top of page
  • 執筆者の写真gen taneichi

オレの作曲人生

更新日:4月24日

最近、自分のライフワークである曲創りに対して真剣に考え込んだりしていました。

音楽一家に生まれたので物心ついた頃から楽器に触れ、音楽に常に携わっていて、当たり前のように将来音楽家になると決まっていたのですが、そのわりに初めてちゃんと作曲したのが17歳と遅いスタートでした。

とはいえ、それから30年以上曲作りをしていて、仕事としてお金を生み出す結果になったものもあれば、誰にも聴かれずに僕の中だけで名曲とされてる曲など、優に1000曲以上はあると思われます。未完成だが1日に20曲できた時もあれば、1年間で完成させた楽曲が10曲くらいしかない年なんかもありました。こうして振り返ると、感慨深いものがありますが。


そんな僕の作曲人生なのですが、どんな時にでも常に「曲創りしなくては」という呪縛に囚われていました。

僕の場合すごく特殊で、17歳の曲創りを始めた最初の曲がデモテープとなり、プロダクションに採用され、そのまま大人たちの意見や考えのもとで作曲人生がスタートしてしまいました。有難い事でもあるのですが、毎週曲をつくっては大人たちに聴いてもらい、意見を頂き管理していただく生活。曲創りのために海沿いの別荘に缶詰させられたり、感性を刺激するためにもっと遊んでこいと時間や機会を与えられたり、普通では考えられない環境があり、その恩恵にはもちろん感謝もあったのですが、言ってみれば初めからプロ作曲家となってしまい、歪んだ作曲スタイルが根本に出来上がってしまいました。


大好きで始めた作曲なのに、取り組む前に億劫になるこの感覚との闘い。

かといって作曲などしたくないのかというと決してそうではなく、自分が生きてて一番興奮してアドレナリンが出て最高かよってなるのは、紛れもなく作曲が完成に近づいていく時のゾーン状態。食欲とかもなくなり、それに夢中になれるほどです。

だからこそ、この歪んだ作曲法を自分から追い出す術をずっと考えてました。

それがね、最近氣付いたんです。


まず、「やらなきゃ」っていう感覚はどこから来るのだろうと。自分と向き合いました。

それは先に勝手なビジョンがあってそこに合わせようとするからだと氣付き、単純にそれをやめようと決心しました。幸い今の僕は、音楽家として何にも縛られることのない状況。やり方を変えるには最高のタイミングであります。

「たった今のその感情」をたった今の氣分なサウンドに乗せて自分が氣分良くなろうというやり方に変換しました。

きっとみんなそうやってるのかな?


さらに、考え方として

「サビ(最も氣に入ってる箇所)+その歌詞」

これを曲創りと定義し、それ以上の作業は全部アレンジと定義しました。


とにかく僕はシンガーソングライターと言っておきながら、実に職業作家のように色々頭で考えてたんだなと、目覚めました。

それからというもの、毎日1曲創るのが楽しくて、十代の音楽少年に戻った感覚です。


あまりルールに縛られずにフレキシブルにどんどんやり方も変えてやろうとも思ってますが、とりあえず3ヶ月くらいは、毎日1曲はトライしたいんですよね。

なんでもやっていくうちに見えてくることがありますからね。


本当におんなじ曲創りでも楽しんでやるのと、頑張ってやるのとでは、波動のベクトルが真逆。こんな当たり前のことができてなかったなんて、まだまだ自分には伸び代があると実感できました。

作詞作曲人生32年にして曲創りの真髄に触れることができ、至極興奮しております。






閲覧数:13回0件のコメント

最新記事

すべて表示

で、前回の話の続きなんですけど。 54日間、しっかり一日一作曲を実践しておりました。 やってみたら、これが本当に最高で「これこそ自分がやりたかった作曲人生だ」と思える感情に包まれておりました。 とにかく、やり出すと必ず1曲できるし、毎日やってるから、「こんな曲を創らなくちゃ」みたいな焦りやハードルが全くなく、流れに任せてその日の氣分を音にできるわけです。 全部で54曲できたのですが、途中でわかった

経年劣化でボディからネックが浮かび上がってしまったまま2年ほど経ってしまった、我が家の象徴とも言うべきコントラバス。もともと父のものでここから僕の名がつけられたわけで、僕自身の象徴とも言える。 僕は元来、物を本当に大切にできない性格で、お世話になってきた「もの」に対して無礼な扱いをたくさんしてきた。物にも感情があるとは知らなかった。 しかし、ここ数年で色々な知識を吸収し、「目に見えない力」というも

bottom of page